無限の君という存在

ただのオタクです。

ついにDDクソオタに担当が出来てしまった上に生で見てしまった

 

(ほぼほぼタイトルが語ってくれているが)

 

 

初めて自担を生で見た。

ジャニ沼に来てから日の浅い私が、初めて「この子の担当になりたい」と思い、「自担と呼びます。」と決めた子。松倉海斗くん。ほぼほぼ支離滅裂な自己満足の備忘録なので読まなくて大丈夫です。(誰も読まないね!)

 

というかサラッと書いたけど私にも担当ができた。推しではなく担当。推しではなく自担。

ジャニーズ沼で見聞きすることがあまりにも慣れなくて、「自担」という言葉を使うことすらはばかられる… しかも私にはDD基質新規ハイ中毒患者という持病がある。Kドル沼にいた時も、最初に好きになった某惑星グループの最年長はまあそこそこ長く(と言っても2年半)くらいは好きだったものの、その間にも2次元に戻ったり他のグループに手を出してみたり、どうにもこうにも長くひとつのグループを好きでいることが出来ない。例のKドル沼での初めての推しである彼のことだって、「私は○○くんがアイドルをしてる限り○○ペン(ファン)だと思うわ」って周りにめちゃくちゃドヤ顔で語ってたし。ウケる。

そんな私が夏に出会ったグループ、Sexy Zone。キラキラして若くて可愛くて面白くって、何より佐藤勝利くんが私の性癖にガツンガツン(θヮθ)('・エ・`)トルネードキック(違)かましてくるもんだから、転げ落ちるようにセクゾ沼へ。そこから2ヶ月ほど毎日毎日セクゾの動画を漁り、勝利の画像を保存し続け、ある日友人宅にて彼と出会う。(この2ヶ月っていうのが肝で、この頃に多分私の中のセクゾ新規ハイが落ち着き始めていた。だから友人宅でJrの勉強を始めたんだと思う。クソだな。)のちの自担となる松倉海斗くん。名前は知っていたけど(あーなんかそうちゃんと組んでた?子?)くらいの認識。ド新規勝利推しだった私にとってそれくらいの認識でしかなくて、なんか松が3人つくよね?みたいな。なんならじぐいわの方が顔も名前も先に覚えてたし、「神宮寺くんリアコだわ〜」とか今の私が聞いたらグーパンかましたくなるようなこと言ったりしてた。

なんやかんやである日突然「私…この子の顔好きなんだけど!!!?????」となったわたし。隣の友人「あーまちゅく可愛いよね〜」と言ってたけど多分のちの自担になるとは思ってなかったと思う。その日は(松倉くん可愛かったな〜)なんて思いながら帰宅した。ちなみにその日の私のツイート。

f:id:abs_abs:20180329193157j:image

f:id:abs_abs:20180329193216j:image

そして夜何気なく動画を見てみた。そうしたら見つけてしまった。松倉くんを。ちなみにこれが私が初めてカメラロールにおさめた松倉くん。今見ても可愛いわ。マイク持つ角度とか。

f:id:abs_abs:20180329191517j:image

 

なんだか本当に"見つけてしまった"という感覚に近い。ある日突然その人間を認識したら、次の瞬間からその人間は風景の一部じゃなくなる。推しを見つけるのってほぼほぼ恋と一緒だなって私は思う。

いつもならば真ん中の紫耀くんとじぐたんだけ見る私なのに、隣の松倉くんを見つけてしまったんだよね。で、思ったよね。カワイイって。

わか〜る。だって可愛いもん。松倉くんこんなに可愛いんだもん。そこからがもうジェット機乗ってる?みたいな早さで沼の底までダイブして行った。夜中までTwitterで『松倉海斗 可愛い』『松倉 可愛い』『まつく 可愛い』とかで検索して画像保存しまくった。完全に松倉くんに持っていかれてた。

だけどひとつ問題があった。私が好きになったのは17歳の松倉くんで、19歳の松倉くんじゃない。男の子の成長期とは恐ろしいものでペラッペラだった身体には厚みが増し、きゅるっきゅるだったお目目やあどけなさがある笑い方から、男らしくなった松倉くんがそこにはいた。(今でも可愛いけどな)。しかもその頃の松倉くんなんかこう…ワイルド系…?かっこよくなりたかったのかもしれないけれど髪型も本当にタイプじゃなくて(ごめん)、私はナチュラルジャニーズヘアーの松倉くんが大好きになってたから1人でむせび泣いた。ゴゴスマの前髪重め倉くんは超絶可愛いのに、どうして前髪を分けてしまうんだろう。ちなみにスマホが壊れて修理に出してデータが飛んだこともあるけど、その時期の松倉くんの写真全然保存してない。17歳の松倉くんに落ちた私にとってそれくらいビジュ問題は大きかった。なぜなら私、松倉くんの性格もちっっっとも知らなかったから。

顔が可愛いな〜ってだけでキャッキャウフフ出来ることもあるし、別にそこからその人を知ろうなんてしなくてもいいや〜ってなることもあるけど、私はどうしても松倉くんのことが知りたくて過去記事を読み漁った。(大声で言っていいのかわかんないけど某メ〇カリで大量買いした。)

松倉くんについて私はこう言ってます。

百田 (@szhuotrui_) | Twitter

 

松倉くんのこと知れば知るほど好きになった。なんていい子なんだろう、なんて真面目な子なんだろう、そう思ってもっと応援したい私も松倉くんを応援したい…といういつもの悪い癖というかオタクの性というかなんかそういうものがムクムクと膨らんでいった。ちょうどその時期は松倉くんが出てるSHOCKが隣県であったし、行こうと思えば無理してでも行けたのに。私はまだ慣れないジャニ沼で、1人で舞台を見に行くことも怖くて、普通にスケジュールがキツキツだったこともあって、(まあ来年も来るっしょ!)とチケ探しを怠った。

 

そんなこんなしてたら松倉くんの誕生日が来ておめでとう〜!なんて言いながらド新規のくせにケーキ買ったりしてお祝いした。松倉くんは20歳になった。

 

数日後(三日後とかだったと思う)に松松が湾岸に出てたことをTLで知る。私は死んだ。盛大なる前振りだと知っていたから。まあこのあたりのことは別の記事に書いてあるんで割愛するけど、晴れて松倉くんがトラジャの一員になって、SHOCKの続投も決まって、この頃くらいから私は20歳の松倉海斗を推したいという気持ちが芽生えてきてた。そんな私の背中を押すどころか蹴っ飛ばして来たのが少クラの夢ハリだ。そして私は顔面から落っこちた。20歳の松倉くんに。

百田 (@szhuotrui_) | Twitter

 

そこからはもう松倉くんのこととか松松のことばかりを考えたり、トラジャの勉強を始めたりだとか。色々してたんだけど年明けにJr祭りの発表があってからはかなり松倉くんのことばかり考えてたと思う。局にも入ったし。

百田 (@szhuotrui_) | Twitter

 

過去の私のツイート概ね同意。

 

この頃の私はまだ松倉くんのことを推しと呼んでいたし、誰のことも自担とは呼んでいなかった。自担なんて大それた言葉私なんかが使っちゃダメだと思ってたから。

 

Jr祭りまでの間もJUMPのドーム行ったり、WESTのコンサート行ったり、相変わらずDDは持続してたし、なんならWEST旋風がすごかったし。笑

 

だけど3/26のトラジャ単独を見て、私はこの子のことを自担と呼んでいいんじゃないかと思った。こんなに好きで、こんなに愛しくて、こんなに将来を見守っていきたいと思える子が他にいるだろうかと。

正直私の中ではまだ松松➕トラジャのみなさんという図が離れないままだった。松松がINしたからと言って「今日からトラジャ担になりまーす!ィェーィ!」なんて気持ちにもなれなかったし、個人的にトラジャ担のみなさんにもトラジャにも失礼だと思ったから。トラジャにはトラジャの歴史があって、トラジャ担にはトラジャ担の想いがあって。きっとそれは松松担も同じことで。だから私はトラジャの勉強を始めようと思ったし、いつか、いつかでいいからトラジャ担ですと胸を張って言えるように努力しようと思った。トラジャが話す、トラジャというグループのこれからの記事を読むたびに少しずつ、トラジャというグループを好きになれる気がした。

実際、トラジャ単独を見た時、私は不思議と(あっ、これから私はトラジャというグループをもっともっと好きになるな)という思いがあった。それはあまりにも自然にわいた感情で私の体の中にスッと浸透した。

 

"7人の"トラジャが作り出す横アリでの空気感は平和で愛と幸せで溢れてたなと思う。夢の国にでも連れてきてもらったんかと思った。特に合同を見たあとはそう強く感じた。(合同は男臭さの塊みたいな、それこそ祭りで治安がすこぶる悪かった←褒めてる)

 

メンバーが何度も何度も「''7人で"TravisJapanだから」と言ってくれた事が嬉しかった。トラジャ担と松松担の不安をかき消すように何度も何度も明るく伝えてくれたメンバーの優しさが本当に嬉しかった。

そして私は松倉くんとげんげんのうちわを持ってる事が誇らしかった。SHOCKをこなしながらトラジャ単独のためのリハを重ねて、決して「SHOCKがあるから仕方ないね」なんて言わせない、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたから。彼らは本当に頑張り屋さんで、湾岸のオーディションの時も、今回の単独の時も、一般人の私からじゃ想像つかないくらい大変な中課題をこなしてきた。泣き虫で心配性な松倉くんの隣には、力強い言葉で前を見据えるげんげんがいて。それらの課題を超えるために、ふたりで支えあってきたんだろうな、と。そう思うと私は誇らしかったんだ。

2人の頑張りはもちろんだけれど、きっとメンバーの協力がないと成り立たない事だと思う。2人がいくら頑張ったってメンバーがその頑張りをすくいとってくれなければ、あれほどのクォリティのパフォーマンスを見せることは出来ないと思うから。だから私はトラジャというグループを、いいグループだなと思う。ありきたりだけれど、トラジャを見ていると平和で愛が溢れていて愛しく感じる。

 

私が松松スワンソングで絶叫し涙を流し記憶を飛ばしてしまったのは何度も何度も友人に話したし(ごめん)、Twitterにも書いたけれど。あの頃の松松をリアタイで見守ることが出来なかったド新規の私だけど、これからもよろしくお願いしますというメッセージが込められたあの曲を目の前で生で見ることが出来て本当に幸せでした。

ぼくと生きた数年が君を綺麗にさせたね

すぐ泣いた君がこんなに冷静装う

この歌詞を眺めながら、あの場では松松担は泣き出し膝から崩れ落ち、お世辞にも冷静を装えたとは思わないけれど、泣き虫だった松倉くんが力強い目をして横アリのセンステでスワンソングを、シンメのげんげんのとなりで歌っている。数年で綺麗になったのも、冷静を装っていたのも松倉くん。割れんばかりの歓声の中、しっかり歌もダンスもこなし、ちゃんとメッセージを届けてくれた彼らのことが私は大好きだ。

 

単独が終わってしまってからしばらくは松松スワンソングというワードを抜きにして言葉を発せないほどこじらせていて、一緒にいた友人には本当に迷惑をかけたなと反省。オタクの悪いとこ。

 

友人に「27の合同立ち見あったら入る?」と言われて私は「入る!」と即答した。考えられる?松松が来ない(可能性の方が高い)合同にいくと即答する?私が?けれど私は迷わなかった。だってトラジャ出るもん。本当にただそれだけ。全員見れてお得だとかそういうのも無いわけじゃないけど私はとにかくトラジャが見たかった。もっともっと彼らの歌とダンスと声と笑顔を楽しみたかった。その時に、ちゃんと私はトラジャのことも好きになれてるんだなと思って嬉しかったし、逆にトラジャ担の人が「松松合同これなくて残念だな」と思ってくれたら嬉しい。

 

合同に松松不在だったおかげでわりかし心穏やかに見れた。が、夜に実はSHOCKが控えていた。3度目の私の命日。チケは本当に心優しいフォロワーさんが譲ってくださった。彼女も松倉担で、松倉担の私と舞台を見れて嬉しいと言ってくれた。私も嬉しかった。同担(というか同じ推し)の人と現場に行くことなんて今まで一回もなかったから。

SHOCKはすごかった。語彙なんてとうの昔に死んでしまったけれど、私は馬鹿みたいに松倉くんだけを見ていた。周りの方には申し訳ないくらいに松倉くんしか見ていなかった。私の知ってる松倉海斗ではなかった。そこにはカイトだけがいた。この松倉くんを知らずに私は松倉担ですと名乗ろうとしていたのだろうかと思うとゾッとした。それほどにSHOCKの彼は凄かった。

 

シャカリキダンスを売りにしていた4年前の彼は、シャカリキ踊ることにすべてをかけていたように見える。その頃の早取りのクセも、次に見た20歳の彼の踊りには無くなっていた。歌だってびっくりしてしまうほど上手くなっていたし、彼も成長しているのだと当たり前だけど感動してしまった。

 

DD基質で新規ハイ中毒患者、簡単に言えば飽きやすい私が担当を作りたくなってしまうほどの魅力を持つ松倉海斗くん。私は未来が怖い。松松がデビューするのを見届けたい。これからも彼を応援していたい。けれど、何があるかわからない。1番の不安要素は自分の気持ちだった。前例がありすぎて、いつか自分が松倉くんを好きじゃなくなってしまったらどうしようと思うと本当に怖くて悲しかった。

 

けれど彼らの横アリでの姿を思い出す度に思う。彼はきっとこれからも私が好きでい続けなければならない程の成長を見せてくれるんだろうな。だから私は素直に彼らについて行くことに決めました。

 

ストでもスノでもラブでもハイビでもなく、私はTravisJapanを、松松を、松倉海斗をこれから応援していたい。

 

そんなことを思わせてくれるJr祭りでした。

 

アイドルになってくれて本当にありがとう。

 

 

 

私は自担・松倉海斗が大好きです。